
世界一大きい大太鼓が雷鳴のごとく鳴り響き町内を練り歩くお祭りが、7月14,15日に行われる綴子(つづりこ)神社の祭典「綴子大太鼓祭」です。
秋田県北部、北秋田市が会場。国道7号沿いに駐車場があります。JR鷹巣駅前からはバスが出ています。徒歩約3.2キロ。
(掲載した写真はいずれも2022年撮影)
祭りの概要

今から約760年前、弘長二年(西暦1262年)に始まったとされる伝統行事。
上町(うえまち)と下町(したまち)の二つの集落が徳川(上町)、豊臣方(下町)にわかれ、一年交代で綴子(つづりこ)神社に大太鼓と大名行列などを奉納し、雨乞いや五穀豊穣を祈願します。
集落内を数基の大太鼓を打ち鳴らして行進する光景は圧巻。大名行列や神社境内で披露される獅子踊りや奴舞いも豪華絢爛です。
平成元年ギネス登録の大太鼓は直径3.71m、世界一大きな太鼓は直径3.8mです。
西暦偶数年が上町、奇数年が下町の当番で実施されます。
日時、場所、祭りの起源、大太鼓の由来、そして獅子踊などの魅力を分かりやすくお伝えします。
世界一大きい太鼓の響きを、一生のうち一度は体験してみたいものです。
日時

「綴子大太鼓祭」は、秋田県北部、北秋田市にある綴子神社の例祭です。国道7号の近くにあり、車や電車、バスなど交通の便はいいです。
春祭と秋祭のちょうど中間である7月14日と15日の二日間にわたり、往古からのしきたりを守り厳かに行われます。
●7月14日は「宵宮祭」です。
綴子神社のブログ(2018年、コロナ前)によると
午前9時 神輿発御祭 ~綴子氏子地区巡幸
午後3時半 神輿還御祭
★午後7時 宵宮祭 氏子奉納行列(大太鼓)出陣
午後8時 神社境内で当番氏子の奉納行事。
●翌日の15日は「例祭」です。
神社の社殿では、
午前9時 雅楽奉奏
午前11時50分 湯立神事が行われます。
一方、大太鼓の出陣は午前11時です。
スタートは、元羽州街道の近くです。
槍や豊年旗を掲げた「ヤツパリ」と呼ばれる棒術使い、裃(かみしも)姿の侍らが、雷鳴のような音を響かせた3張りの大太鼓を従えて出陣し、町内の道路を練り歩き、約1時間かけて神社に着きます。
正午 氏子奉納行事開始(境内)
場所
会場は、秋田県北部の北秋田市です。昔は、鷹巣(たかのす)町でした。
太鼓の出発地点は、「道の駅たかのす」から歩いて約15分の旧羽州街道ちかくです。今年2026年は祭りの当番が「上町(うわまち)」のため、出発地点までは道の駅から歩いく必要があります。
駐車場は、能代市と大館市の間を結ぶ国道7号の脇に、「道の駅たかのす」と「大太鼓の館」があり、駐車料金は無料です。
また今年は特別に北秋田市文化会館を臨時駐車場として開放します。

大太鼓は旧羽州街道から綴子神社に向かって約200メートルほど進み神社に着きます。
そして神社の境内で踊りが奉納されます。
躍動感あふれる一人立三匹獅子踊り、奴踊り、棒使いと伝統の芸能が次々と演じられます。
祭りの起源は鎌倉時代

「綴子大太鼓祭」と呼ばれるので、大太鼓にのみ関心がいきがちですが、祭りは
1、太鼓
2、踊り
3、大名行列
の3つから成り立っています。いずれも興味深く、それぞれに歴史があります。
まず(2)の踊りです。
祭りの起源は鎌倉時代。当時は綴子村と呼ばれ、北秋田地方第一の歴史がありました。宿場街だったのです。
旧綴子村が開かれた鎌倉時代(1262年以前)。山伏神楽の流れを組む「獅子踊」が生まれました。農民の人達は、綴子神社の氏子として篤い信仰心を持っていて、奉納行事として代々続いていました。
そして(3)の「大名出陣行列」です。戦国時代、武士は戦に先立って氏神神社に行列を組んで参拝しました。
戦勝祈願と武運長久を祈ったのですが、その姿を継承したものとされます。(県内ではほかの地域でも大名行列が見られます)
江戸時代の初期に、時の藩主の公許奨励により年に1度の無礼講の日と定められて始まったものです。
元禄時代(1688~1704)の頃には獅子踊が絶えていたので、もう一度踊りを再興し、「獅子踊」「大名出陣行列」が組み合わさりました。
大太鼓は雨乞いの行事

最後に、大太鼓の話はこうです。
旧綴子村は昔から純粋な農村として発展しましたが、広大な耕地に対して水源水路の便が悪く、農耕用水の不足に悩んでいました。
村の北側を東北地方の大幹線道路である「羽州(うしゅう)街道」が通っています。
しかし街道は山際の道であり、秋田県北部の大河である「米代川(よねしろがわ)」は約3キロメートル南にながれています。
また西には綴子川が流れていますが、水を取り入れることができませんでした。
そこで村人は、昔から雨乞いの神事として大太鼓の行事を行っていたのです。
大太鼓の大音響を天上の雷鳴に似せ、氏子の切なる協力一致の姿で真心を捧げます。
そうすれば、天上の龍神も感応して雨を降らすという素朴な強い信仰心から生まれたものでした。
神社の祭典の日には雨が降ることが多いそうです。
暑い盛りの神事として、悪疫退散、厄難消除の祈りも込められています。
世界一の大太鼓がうまれた経緯

なぜ世界一の大太鼓が生まれたのか? これには長い歴史がありますが、記録文書は残っておらず、以下のような言い伝えがあります。
村の中心部である「綴子本郷」は上町(うえまち)と下町(したまち)の2集落に分かれていました。
上町は徳川方に、下町は豊臣方の出陣行列に3頭の獅子を踊らせながら、五穀豊穣祈願のため神社へ先陣を競っていました。
上下の2集落は当時の対抗勢力を模して、上町は葵の御紋の徳川方(江戸以前は源氏)、下町は千成瓢箪の纏いを馬印とした豊臣方(江戸以前は平家)でした。
それぞれ槍・弓矢・鋏箱などの道具持ち、露払い太夫、侍など100名程の行列を組みます。

神社の解説によると、かつては
「青年若衆の装束も絢爛豪華で、家紋入りの化粧回しの奴達、陣笠被り2本差し麻裃の武士、烏帽子大紋長袖の太夫の指揮により笛太鼓のお囃子も賑々しく、棒術と奴踊に3匹の獅子を踊らせ氏神に先陣を競い、例え親族親子であっても挨拶を交わさない程に激烈を極め」たそうです。
ある年、あまりにも興奮しすぎて相手の太鼓の皮を破る事件があり、宮司が見かねて昭和5年から祭りの担当を一年交代としました。(※従って来年2027年は下町が当番となり、スタート地点は綴子基幹集落センターとなります)。
先陣争いが大太鼓を生み出した

先陣争いの意地の張り合いが太鼓の皮の張り合いになり、
下町の直径3・71メートルは平成元年のギネス登録となりました。
上町はそれを上回る3・8メートルの太鼓を作りましたが、これ以上の牛の一枚皮の入手は困難となり、争いに終止符が打たれました。
でも、ある氏子は「上町と下町が良いライバル関係だったからこそ、祭りが廃れなかった」と話します。
小山のような太鼓は片側だけでも上に4人、下2人で、合計12人の鼓手が必要となり、重さは約2トンにも。両集落とも、大太鼓以下3番太鼓までを所有しています。
大太鼓は形・音・重さ・鼓手(太鼓の叩き手)の数などで、ともに日本一と言われ、北秋田地方を代表する伝統郷土芸能となっています。
祭りのまとめ

この行事は元来、旧6月14・15日(現在7月14・15日)とお盆、そして大豊作の年の秋祭(新嘗祭)などでも行われていました。
例大祭の2日間は綴子地域における年間で最も盛大な日です。
社殿での神事は氏子が多数参列するなかで、雅楽の音も雅に厳粛に斎行されます。
一方、当番集落は集合場所に集まり、時間になると出陣行列を組みスタート。4里4方(1里は約4km)に鳴り響くという太鼓の音と、笛太鼓の囃しと共に進み、綴子神社社前に進みます。
社殿で神事を終えると、奉納行事があります。棒使へ(通称ヤツパレ)の打ち込み、露払い太夫の口上挨拶、奴踊(扇奴・綾奴・扇綾奴・空手奴・綾空手扇奴15種位)、獅子踊、棒使へ(打込み3種)、棒術(5種位)と続き、最後に神前に一礼をして神社での奉納行事は終了となります。

大太鼓は行列の最後尾をつとめ、打ち方による演奏は行事の前奏、間奏として行われています。
一般の人は15日が見所ですが、前日14日の宵宮祭の奉納行事は「静寂な夜のしらべにかがり火を焚き、現代から悠久の時を偲ばせ幽玄幻想に酔いしれる往古以来の奉納行事でございます」(神社の説明)とあります。